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教えるべきことが何かを言ってくれたら、教えますよ!?

“学習・成長する個人”から”変化する組織”へ
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「教えるべきことが何かを言ってくれたら、教えますよ」
 教育畑の人の間で、たまに聞く言葉です。
 この言葉の背景には、学習目標として定義された「教えるべき事」がどこかにあって、それを効率的かつ効果的に伝達することが、自分たちにに求められているのだ、という暗黙の前提が存在します。
 しかし、その「前提」は正しいのでしょうか。
 僕の肌感覚からすると、それは疑わしいと思います。
 混沌として不確実な状況の中で、自ら先頭にたって情報を収集し、様々なステークホルダーの利害や思惑を調整しつつ、「教えるべき事」を提案することが、本当は求められていることなのではないか、と思うのです。もちろん、「教える方法」に関しては、これまでも、そしてこれからも、貴重であることには変わらないのですが、それに加えて「教えるべきこと」に関する貢献が求められているように感じるのです。
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 かつて、教育に求められていたことは、「教える方法」に関するプロフェッショナルさでした。
 しかし、僕の肌感覚に関する限り、今求められているのは、従来の「教える方法」に加えて、「教えるべき内容の定式化」に関する貢献です。つまり、「方法知」とともに「内容知の定式化」が求められ始められているのです。
 そして、「それが、教育畑の人に可能なのか?」ということが問われているように、僕個人は感じます。
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 そこには、ひとつの強力な「脅威」が存在します。
 今、仮に「方法知」について熟知している人々が、存在するとしましょう。その人が、「どのように教えるべきか」という「方法知」を何らかのかたちで手に入れてしまった場合、どのようなことが起こるでしょうか。
 彼/彼女は、「教育畑の人」ではありません。しかし、「内容知」に関しても、「方法知」に関しても熟知しています。
 その彼/彼女のパフォーマンスが、教育畑の人のパフォーマンスと比べてどうなのか、がおそらく問われることになるでしょう。
 そして、万が一、前者が後者に優越してしまった場合、「教育畑」という社会的カテゴリーが過去のものになる可能性があります。「競争優位」がなくなってしまうのです。
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「教えるべきことが何かを言ってくれたら、教えますよ」
 という言葉を聴くたび、僕はハラハラしてしまいます。
 その言葉を口にするのは、2つの場合が考えられます。
 ひとつは「教える方法」に絶対の自信をもち、かつ、よほどの「競争優位」が存在する場合でしょう。もうひとつは、今、求められていることが見えなくなっている場合です。
 今、揺れています。
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追伸.
 今月号の「企業と人材」に、「他者とのかかわりが個人を成長させる」という3回シリーズの連載がはじまります。昨年、富士ゼロックス総合教育研究所が主催して実施された社会調査がベースになっています。
 僕は、松尾睦先生とともに、この共同研究に「監修者」として参加しました。「定性調査」「プレプレ調査」「プレ調査」「2000人近くの方々にご参加いただいた本調査」と、そのプロセスは、長く厳しいものでしたが、この研究では、知的にエキサイティングな「経験」をさせていただきました。僕も、今、この調査データと格闘しているところです。
 連載は、富士ゼロックス総合教育研究所の坂本雅明さん、西山裕子さんが執筆なさっています。初回3月5日号、4月5日号、5月5日号に掲載される予定です。

続きを読む:http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/1818

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